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ハリセン春菜「マイケルムーア監督じゃねーよ」アリアナ「全然似てないわ私が約束する」【アリアナの素敵なエピソードと日本のお笑い】

オピニオン ネタ

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新曲『デンジャラスウーマン』のプロモーションのためにアリアナ・グランデが6回目の来日をしてくれましたね。

テレビ番組『スッキリ』に出演した際に、ハリセンボン春菜がおなじみの「〜じゃねーよ」ネタを披露したものの全然笑って貰えなかったことが話題になっています。

実際には、次のようなやりとりがありましまた。

司会の加藤は、アリアナにも分かるように春菜指を指差して「会ったことあるんじゃない? 映画監督でさ」と丁寧にフリます。すかさず春菜は、「マイケル・ムーア監督じゃねーよ」とツッコミを入れました。日本では、もう何年も前から見るおなじみのネタですよねwスタジオはウケましたが、アリアナは笑ってはくれません。通訳の説明を受けてもその姿勢は変わりませんでした。

それでも司会の加藤は、おじさんだったのが良くなかったと判断したのか、再度

「アニメの、緑色のね?」と分かりやすいアニメキャラのフリをして「シュレックじゃねぇよ!」をやらせました。しかしそれでもアリアナは「シュレックだと思いませんでしたよ、すごくかわいい!」と言って自分の姿勢を崩さなかったそうです。

それだけにとどまらず、 アリアナはCM中、近藤に「あなたは本当にマイケル・ムーアに似てないから。私が約束する」と声を掛けたそうです。

このエピソードは、単に文化の違いを超えて、アリアナの素晴しさ、日本の容姿をネタにするお笑いのあり方に疑問を投げかけるものだとしてネットでは今も話題になっています。 

 今の日本では、ブスやデブやハゲは笑いの対象であり、美形でスタイル抜群の男女を賞賛することが「当たり前」とされている。この「当たり前」を前提としてテレビをはじめとしたメディアコンテンツはつくられ、笑いの線引きがされてきた。しかしポリティカル・コレクトネスについては、日本でもこれから先そう遠くない未来に真剣に議論し、速やかに実行しなければならない日がくるだろう。女芸人のブスネタが通用するのは国内限定。アリアナ・グランデ「近藤春菜はすごくかわいい」 - エキサイトニュース(1/2)

 

 アリアナは、惚れるほど良い子!

相手の容姿の指摘することすら、アメリカではタブーになっているそうです。

鼻が高い、肌が白いなど日本では褒め言葉になりそうなことでもです。

日本で暮らしているアメリカ人の、日本人が外国人に対してやりがちな失礼なことのなかで紹介されていて、私は知りました。

個人的にですが、『スッキリ』でのやりとりがジョーダンの類いのものであることはアリアナも理解していたんじゃないかと思います。

ただ自分の国でのそういった文化的な背景があったので、アリアナは自分の立場を貫いたんじゃないでしょうか。

普通、周りに流されてとりあえず愛想笑いだけでもしとけとならないところも日本人の感覚とは大分違いますよね。

自分の感覚を信じて周りに流されないという姿勢はとって素晴らしくて、「惚れてまうやろ〜」と誰もが思ったんじゃないでしょうか?

けど容姿ってネタにしちゃいけないの?

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引用:“漫才王者”トレンディエンジェル、薄毛ネタ葛藤あった | ORICON STYLE

確かに世の中には、こういった芸人たちがやるネタを日常で一般人にやってくる人達がいます。そういう人たちは本当に鬱陶しいし、個人的にはいなくなってほしいと思います。

 
ただ、ネタとして容姿を売りにしてる人達を笑っちゃいけない、それがポリティカルコレクトネス(ポリティカルコレクトネスって言い方も嫌い)だいうのは、どうも腑に落ちないのは私だけでしょうか?
 
普通の日本人には、容姿をネタにしている人達とそうでない人たちの区別をつけるし、相手がコンプレックスに思っていることであれば察して触れないというのが当たり前だと思います。
 
そこらへんの区別がつかない人たちに合わせて、テレビのお笑い番組まで規制や自粛をしなきゃいけないハメになるというのを今までも見てきたし、これからもそうなっていくんだと思うんですが、正直やめて欲しいです。
 
まぁ、人種が違う容姿が違う宗教が違うという人たちのなかでそういった区別がつかないというのはしょうがないことだと思うし、それを「アメリカ人はお笑いを分かんない人たちだなぁ」と言うつもりはないです。
 
むしろ、文化的背景を考えると当然とさえ思える訳ですが、そっちが正しいと言われてしまうと「いやそれは、違うでしょ」とどうしてもいいたくなってしまいます。
 
アメリカ人が容姿をネタにしないのと、日本人が何をネタにして楽しむのかに正しさとか関係ないですよね?
 

ネタをネタと分からない人たち

 
文化の違いはしょうがないとしても、日本のなかでもネタがネタにならないということが起きてきてると思いませんか?
 
規制のなかでお笑い番組が緩くなってきたせいか、ネタとしてやっていることが全く理解されないことがあって、残念な気持ちになることがあります。
 
以下に貼っているのは、あるDVDの企画なんですが一部を見て実際に暴行している出来事だと勘違いされて炎上してしまったそうです。
 
コメント欄は、暴力に対して本当に憤りを感じて非難しているのを見る事ができます。
 
正直カメラに取られ、編集され世に出回っているものをどうして本気の暴行だと思えるのかが私にはさっぱりわかりませんw
 
この動画に限らず、ネタとしてあるいはコントとしてテレビ番組でやる事が理解されずにクレームがくるということが過去にも多々あったようです。
 
もちろん面白くない事に対する批判はあっていいわけですが、ネタだと分からず批判するというのは全くの検討違いで、首を傾げてしまいます。
 
放送中にこれはコントですとテロップをいれるべきだという事も言われる訳ですが、それはもう映画にフィクションですといれるようなもので、そんな興ざめなことはありませんよね。
 

最後に

 
個人的には、徐々にテレビを見る機会が少なくなってきてしまったんですが、それでも面白いものがあれば見たいという気持ちは昔と変わりありません。
 
ちなみに角野卓造じゃねーよネタも結構好きですw
 
それを外国と比べて、正しいか判断しようとしたりするのはおかしいですよね。
 
あるいは、理解力が低かったり、あまりにも適当に見て何が起きてるのか把握できない人たちの批判に合わせて規制、自粛されていくということがどうも納得できないです。
 
けど、どうもこういう流れは止められなさそうな気しかしません。
 
ps ポリティカルコレクトネスということばはよくわからないし、調べる気にもならなかったので違う意味で解釈してたらごめんなさい。
 
したっけ〜