映画『ハドソン川の奇跡』見てきたよ!容疑者としてのサリー機長の物語。クリントイーストウッド監督の作品にハズレなしですな【 感想・レビュー】
先日映画ハドソン川の奇跡を公開初日に見てきました!
アメリカでは、2週連続で興行収入1位を獲得したそうですが、日本での客入りはイマイチといった感じ。半分くらいしか埋まってなっかったかな。
まぁ、君の名はが大ヒットしてることも関係してるかもしれません。また、実話を元にした話なので日本でも知ってる人の多い事件ではありますが、エンタメ的ではないことも原因かもですね。
実際、飛行機が水面に着陸するシーンなんかは、映画においてはおおきな見せ場ですが、この映画ではそこはリアリティーを追求してる感じがしました。予告にもある通り、あくまで焦点は事件後の機長への疑いに当てられています。いわゆる、アメリカに起きた奇跡!アメリカバンザイ的な作品では、全くないと思いました。
正直楽しめる!おもしろい!って感じの映画では、ありませんでしたが物事の見方が変わるような知見が得られるというか、見終わった後に少し賢くなったかなと思えるような作品でした。
※ここからは、映画本編のネタバレが含まれます。また、内容は批評や論評といった類のものではなく、感じたことをそのまま書き出した寄せ集めのようなものです。友人と映画を見終わった後にあーだこーだ言い合う時のような軽い気持ちで読んでいただけると嬉しいです。
目次
国家運輸委員会の追求がどいひー
飛行機事故というのは、車での交通事故と違いその原因追求には全く容赦がないようです。
まぁ、一瞬で155人の乗客の命が失われてもおかしくなかったし、テロでなくてもニューヨークの街に突っ込んでいたらそれ以上の犠牲者が出ていたわけで当然と言えば当然なのかもしれません。
ただ、冒頭のプライベートに何か問題を抱えてないかという追求に関してはさすがにどいひーと言わざるを得ません。「プライベートに問題あったら川に突っ込むんかい。んなアホな」とつっこみたくなりました。ただ、実際にはそういった事件も過去にあったようなので、委員会的には無視できないポイントだったのかもしれません。
また、旅客機というのは空を飛ぶ乗り物ではありますが、非常に安全でまず落ちるなんてことはないそうです。だからこそ原因追求の際に考えられる優先順位として『人』に問題があったと考えることは、ある意味妥当なのかもしれません。まあ、感情的には「はいそうですか」と受け入れがたいですけど。。。
事故原因のバードストライクが起こる確率
ということでネットで調べてみるとどうやら、両エンジンに鳥が突っ込む確率は約100万分の1だそうです。
ところでサリーよ、あんたさてはやったな?
(C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved私の記憶では、この事件当時日本のニュースでもと取り上げられていたので、知っていました。ただ、その後事件の責任を追求されていたことは、この映画で初めて知りました。
「155人もの命を救った人間になんて追求するんだ」と思いながら、見てたわけですが次第に「あれ?これって機長がとんでもないミスしたんじゃね?」と感じはじめます。
だって、なんか実際かなり怪しげに見せてくるんだもん。笑
まず、機長のなんだか怪しげな副業。安全コンサルタントなるものをはじめてそのサイト?かなんかでは、たくさん社員がいるように見えるけど実際は、1人だけで運営してるってことが副機長との会話で出てきました。「なんだかきな臭いw」
さらに家庭では、家を手放さなきゃいけなくなりそうなくらい家計は火の車。「自暴自棄になってもおかしくないんじゃね」と思いました。
おまけに、管制塔側からのやりとりだけを聞くと機長が本当に正しい判断をしたのか疑わしくなるくらい、早急にハドソン川への着水を決断しているように感じたのは私だけじゃないはずです。バードストライクから着水まで、その時間わずか208秒。実際事故当時管制塔にいた人は「なにか機長に異変があったのでは」と疑問を持っています。さらに事故後PTSD的なフラッシュバッグや片方エンジンが生きていたんではないかというデータなども残っていたせいで、自分自身ですら自分の決断に自身が持てなくなった時があったようです。
そして決定的なのが、コンピューターシミュレーションの結果。事故当時の状況をなんとかかんとかというシミュレーションで再現してみると計算上何度やっても無事に、元いた空港に戻ってこれるということが判明しました。
このように「あー、これテンパって判断を見誤って、ハドソン川につっこんじゃったんだろうな」と思わせるシーンが随所に散りばめられていました。
多分これは監督が意図的にしてることなんでしょうね。『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』にしてもクリントイーストウッド監督は、物事の一面からだけを見るのが嫌いなんだと思います。
ただ、結末では、これらの疑問が全部ひっくり返ることになりました。
みんな納得の結末
サリーの決断は正しかったと信じたい一方で、ミスがあったのではという疑念も確かなものになったところで、公聴会での査問を迎えることになりました。
コンピューターシミュレーションの結果に対するサリーの毅然とした反論は、本当に素晴らしかったですね。
前代未聞の事故に対して、人的な要因が組み込まれていない。確かにその通りでした。
機械の出す答えは、いつも一定ではありますが正しい答えを出すためには、あらゆる要素を考慮しなければいけません。
そのポイントがあるかないかで、この事件の概要というのは全く違うものに見えるということをこの映画で実感することができました。
結果、サリーは英雄だというところから始まったこの映画は、様々な疑念を乗り越えてやっぱりその通りだったというところに着地することができました。本当に邦題の通り、奇跡を目撃した気になれる作品でしたね。いや〜、すっきりです。正直USA!USA!的な作品だとかなり冷めた目で見てしまっていたかもしれません。笑
まとめ
この映画では、208秒の不時着を何度か追体験することになるのですが、その度にこの事故に対する見方が変わるというのが、監督の狙いだったと思います。「同じ出来事でも見る視点を変えれば違ってみるもの」とはよく言いますが、まさにそれを肌感覚で感じることができました。